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Undust 

男がソファに寝転んでいる。その側に別の男がいる。世界はとてもつまらない、と男がいう。だってさ、結局のところ人間関係の複雑な網目があるだけで、誰一人信用できないね、きみ以外は。そう呟きながら片手にはめていた指輪を磨いている。太陽が反射し向かいの壁に光を残す。だから、ともう1人がいう。俺がきちんとしてやるから大丈夫さ、マージンを頂く代わりにきみの嫌なことをすべて引き受けてやるさ。ところで例の赤い女だが、今日きみに会いたいそうだ。どうする? それで磨いていた指輪を左手薬指に嵌め直しソファから身を起こす。もう夏だな。赤い女とは今日は会わない。今年はまだ五人ほどしかヒトと呼べる者と会話を交わしていないらしい。外の世界ではいったい今なにが起こっているんだろう。そう言いながら、もう一人の男によって雇われた編集者手製の薄っぺらい雑誌を手にとる。この雑誌は男が知りたい情報だけが載せられているプロフェッショナルなものだ。ほとんどすべての情報を男はここで入手している。企業の利益と世界の平和とが首尾よく握手するポイントはないかとそのヒントを期待して、あらんばかりの力をすでに持った来客たちが時折男を訪ねてくる。とはいえ外出もする。完全に変装した状態での目的地まで一切寄り道をしない外出だ。話しかけられれば大抵それに応じるが少しでも不愉快を感じれば会話が宙吊りになってでも立ち去る。仕事の話も恋愛めいたもろもろのことももう一人の男を通してしかしないために何の不都合もない。金にも困らない。欲しいモノは大抵買える。退屈したら外出中でも指輪を磨き始める。携帯電話にはもう一人の男からしかかかってこない。この男にとって、大衆という存在は足元の遥か下にいる。元から分からなかったのだ。訪ねてくる者たちが分かっていればそれでいい。

死者の握手を大衆は払いのけるだろう。

 

あるとき男はいつものように外出しているときに黒い女とぶつかりよろめくが、そのとき指輪が抜け落ちて地面に転がってしまう。雑踏のなかで探しようがない。立ち止まった女が弁償するわというが、換えはいくらだってあるさと独り言のようにいいかけた男がその女を直視し衝撃に襲われる。ただの直感だが、いいかけた言葉を飲み込み、落胆したような素振りを見せ、それから突然女の顔に近寄って、思い出って金じゃ買い戻せないんだよ、悲しいことにそれが事実さ、せめてあの指輪にまつわる思い出話を供養の気持ちで聞いてくれないかな、三十分で済むことだ、そこのカフェで、と囁く。女が驚いて男の目に視線をあわせるが、その眼差しの説得力に好奇心を抱く。これが二人の出会いだ。人々が雑踏のための交響曲をそれぞれの靴で奏でている。その狭間のカフェで男が話し続けている。虚偽に満ちた指輪にまつわる物語。やがて、きみの大事なものを聞きたいね、と、男が目を光らせながらいう。突然女が冷ややかな視線に変わって男に告白する。大事なもの? この世界に価値あるものなんて何一つないわ。私も含めて、すべてがダストなの。私に言わせればあなたも、あなたが大事にしてたと言い切った指輪もそうよ。三十分も時間を割かせておきながら、あなた、私に魂のない死者の戯言を聞かせたわね。そしてグラスに注がれている水を少し口に入れて男の顔色を伺う。男は目を見開いている。そして、おもしろい女じゃないか、と声にだしていう。俺は指輪をなくした代わりにきみを得た、きみのことがもっと知りたい、きみは自らをもダストだと言い切ったが、それでこの世界をどう生きる? 女は微動だにしない。それで男はウェイターに注文する。カフェオレ二つ、そして、自分のことから話そうか、おれはそれで創造したのさ。そうしたら世界中に散らばる優秀な人間が続々と集まってきた、この資本主義社会に意味のある談合を兼ねてね。きみだって、きっとどこかで俺のことを見聞きしてるはずだ、俺の名前は、女が制していう、イイわ。まるでそんな話にまったく興味がないと言わんばかりに。だが、男はさらに喜ぶ。今、最高の名前を授けられた、イィ、そう、俺はこれからイィと名乗ろう。そう、俺はダストだ、この世界はとてもつまらないものだと思っている。それじゃあもっときみの喜ぶことを教えようか。俺は、創造を行うずっと前から、退屈な秘密組織を作っていたのさ。資金源はこの俺のからだをフルーツかなにかだと勘違いしている中年の男どもだ。活動内容は内緒だけどね。運ばれたカフェオレを受けとって口をつける。女はイィと呟いて恋に落ちる。女はまだ十代半ばだったが、とある恋人である男の力をもって資金源調達を目的とした水商売を手伝っていて、そこではアリスと呼ばれている。そこにくる男たちは誰もが(ゴミであるにもかかわらず)自らの有能さを押しつけてくることに必死だったのだ。だが、目の前のこの男はおそらく有能であるにもかかわらず、謙遜という程度のものではなく、自らをゴミだと看做していて、イィなんて名前を本当に喜んでいる。女は恋に落ちはしたが、素性を語ることは一切しない。むしろより一層秘密裏にしようと務める。だが連絡先は交換する。男の携帯に初めて女の連絡先が登録される。

 

男は女に対してとてもおしゃべりだ。再会したとき、もっと俺の世界を聞いてほしい、と堰を切ったように話し続ける。やがて一人称にボクが混じり始める。やがて女は男のとあるソファがある部屋にも連れていかれる。もう一人の男が立ち去るとすぐに甘え始める。そう、ボクの言葉なんてゴミでしかないんだ、ボクってとっても美しいだろ、それで大金を持った中年の男たちが集まったのさ、それで、ふいに直感が湧いて創造してみたら今度はそれを求めて大金を持った中年の男たちがやっぱり集まったのさ。なんて馬鹿みたいな世界だ、ボクはかたやこの世界をゴミ溜めにすることに必死で、俺はかたやこの世界の平和を考える人たちと協力して俺なりに汗水たらしている。これがどういうことか分かるか? 世界の均衡はこの俺次第でどっちに傾くか決まるのさ。男が女の服を脱がせてその背中にあるタトゥーを指でなぞる。女が即座にいう、昔、入れられたのよ、だが男は釈然としない。このゴミ溜めの世界の中心部にまでやってきてその暗闇の真っ只中でタトゥーが光っている。余白を削るように女が問う。あなたはこのダストに取り巻かれた世界のなかで私に意味を見いだしたわね。男が苦笑する。ボクの言葉をゴミのまま受け入れてくれるゴミのような女だからね、逆説を心のどこかで求めてたのさ、俺だって所詮は人間だからね。結論はでてるんだ、この世界はゴミだろ?それでどう生きる? 言っておくがボクのこの容れ物はとても美しいじゃないか、その比較として世界はこのボクの中身さえもゴミなのさ。きみは俺という容器のなかに入ってきたってことだ。幸福は約束されている。ただ、このタトゥーが駄目だ。きみはきっと俺に大事なことを隠している。そのとき、男にとって想定外の状況が生まれる。女が泣きだしたのだ。いいじゃない、私はあなたのことが好きなの! 男は愕然とする。それから口づけをする。やがて冷静な声でいう。俺はきみへの不信感が消えない限りきみとセックスはしない。でもね、俺だってきみをとても求めてるのは事実だから、そのタトゥーを見てると苛つくんだ、消せばいいって話じゃない、なにか俺を拒む概念にきみは忠実で、タトゥーはそれが表層化したにすぎないはずだ、きみは、もっと俺に忠実な奴隷であるべきだ、この世界で唯一美しい空間を創造した人間なんだからね、俺にはただのゴミのようなセックスができる相手は幾らでもいる。それらをすべて断つ約束をしよう。だからきみも奴隷であれ、誓えるか? 女がやがて口を開く。イィ、私はあなたの奴隷、アリス。ご主人様にこの身を捧げるわ。

 

この日があってから、男は無益な時間をすべて女のタトゥーの図柄の解読に捧げていく。あのタトゥーがただのファッションであったなら消させれば済む話だ。だがその程度の女に男がここまで恋するはずもない。ありえないことが起きている。もう一人の男が話しかけてきて思索が途切れる。例のマネー男があなたに会いたがってるけどどうする? 男は別室でその中年男と会う。鼻歌混じりで最近よく来るじゃないかと言いながら、慣れた動作で着ているものを脱いでいき、しなやかなからだを晒していく。ヨダレ混じりでさすりながら、中年男が心底脅えた声で繰り返し繰り返しマネーロンダリングについて呟き続けている。汚れた金が流通していくことはこの男の若い頃の使命だったがヘタを打って以来トラブル続きでかなり疲弊している来客だ。からだをさすられながら、ただのゴミの分際で別種のゴミに巻き込まれてハアハア苦しんでんじゃないよ馬鹿らしい、そういいながら唾をねっとりと中年男に垂らす。それよりも、と思う、あの愛しい女には俺の秘密組織について具体的に話すのは止そう、早々にあのタトゥーに気づいて良かった、どう考えても危険だ。光と闇の中心世界で男はゴミのような無垢を生きている。中年男に知恵を授ける。その顔面に射精して、次の会合まで我慢しろよ、と命令する。服を着て金を受けとって部屋から去る。

 

イィと名づける。小文字のiが二つだ。ゴミのような裏の秘密組織に名前などなかったが、男はどうでもいいかのようにそれをii(イィ)とする。そのことを女に告げることはない。表の人脈を利用して現代のウィリアム・フリードマンと呼んで差し支えない人物を紹介してもらう。アメリカ西海岸からの帰国子女だが海の向こうにいた幼少の頃からハッカーの世界で名を馳せていて少数の有能なハッカーたちからエニーと語られてきた青年だ。自らが謎であるかのごとく背中一面にオリジナルデザインである複雑な図像が掘られていてロングヘアはライトグリーン。この実物に出会った者がほとんどいない青年をいつもの部屋に招き入れてアリスのタトゥーの謎を高額で解かせる。エニーはコピーされた図面を見てすぐに理解したような表情を一瞬見せるが眉間に皺を寄せて口ごもる。そして九日欲しいと告げる。長いね、と尋ねられ、この図像は三次元世界の入り組んだ人脈を示している、それを解読するためのキーでしかない、と差しだされたティーに口をつけることなく立ち去る。サンフランシスコの文化に染まったファッションを貫く叡智。一人残されアリスのことを思いながら男が官能的な恐怖に震える。アリス、なんて期待を裏切らない謎めいた女なんだ、まるで裂いた腹のなかから本当にトランプの兵隊がぞろぞろ現れてきたかのようじゃないか。フリーメーソンか、ロスチャイルドか、いったいアリスというまだ十代のか細い女から何が飛びだしてくる? このゴミに覆われた空虚な世界で!

 

男が室内で水槽のなかで泳ぐ魚の群れとそれによって起こる水面の変化を見つめながらカオスに思いを馳せる。

 

九日間、アリスと会うのをやめる。

 

エニーの奇妙な提案に警戒し。アリスはただの個人じゃない。

 

中年男たちを拘束器具に捕らえてハードな拷問を与えながら性処理に励む。愛、愛とは何だ、俺は知っている、それは空虚な世界をきらめいた幻想で満たす世界最高の媚薬だ、ずっと昔からそれを知っている、それでも尚、この世界はつまらない、ゴミでしかない、それを知っている女、アリス、その皮膚に刻まれた暗号の先にあるもの。九日間、男は火照ることが治まらないからだのために多くの人間を犠牲にする。中南米から少年を購入して精液を三日三晩ぶっかけて送り返す。最悪のヘタを打って殺されるか自殺するしかない中年男を救う魔法を振りかける代わりにその中年男のからだを好き放題に改造している最中、同性愛者でもない中年男が、貴方はなんて美しいからだなんだ、と血まみれになりながらいう。指先で中年男の血をすくいとって舐めながら、だろ、ボクはゴミしかないこの世界に現れた唯一の奇跡なのさ、そして小便を振りかける。暗闇と焔しかない室内でその放物線を描く液体がきらきらと輝く。カナダのとある財閥に所属するある男が奇妙な秘密結社をしていてね、きみは明日そこに放り込まれる、酸素ボンベだけを抱き締め大きなアタッシュケースのなか、旅客機に乗せられて。穴の開いた右胸に突っ込み左側、心臓の方へ汗まみれで行われるピストン運動。アリス、エニーが解いた暗号を胸に抱いて早く会いたい、謎が解かれたきみはごろんと転がるただの奴隷となるのさ。唐突に中年男を蹴り飛ばしてベストパートナーであるもう一人の男に後処理を任せて出ていく。

 

エニーが舞い戻ってくるまでの九日間が男にとってとても長い。ソファで白ワインを舐めながらなくした指輪を磨く代わりにワイングラスに注がれた液体の動く様を観察し続ける。ベストパートナーの男が延々パソコンを前に事務処理をしている。その作業中だけ眼鏡をかけている。静かだ。ソファで男が時折編集者手製の薄っぺらい雑誌に目を通す。その雑誌には毎号様々な地球儀が表紙を飾っている。この事務所で外界の時間そのものが情報化され幾度も再生を繰り返し急速に過ぎ去っていく。多くの人材が記号として飛び交う。地表を舞う砂塵。磁石を放り込めば舞い方に変化が現れる。グラスを揺らせば白ワインの状態が変わる。正確に揺らせば理想的な場所に理想的な濃度を生じさせることができる。グラス自体から影響を与えることもできる。そういった仕事を男は完全にパートナーに委ねることができ、純粋にゴミしかない地球上で永遠の美しいからだを会得したのだ。パートナーとの出会いは死後とされている。不純物の一員として肉体から精神へ美しくないものを移転させていく技術を様々な人間を犠牲にして行う過程で知りあう。名もなき組織から純粋生成されたかのように。あのとき男はこう告白しただろう、私はきっと、涙で頬を濡らすことさえなく、妹を見殺しにしてしまった、重圧に耐えきれない、生きる価値のない人間だ。だが、とその場面では2人の男だけが暗い通路に立っていただろう、世界がすべてあらかじめゴミなのさ、きみはようやくそれに気づけただけ、輝かしさはくすみ、有名ブランドの香水も森林の雨上がりの香りも異臭にすぎず、そのナイフでボクの心臓を貫くといいさ、知るといい、この死んだ瑞々しいからだの奇跡を。ボクを殺せ。その手で。暗い通路に陽の射すところはなく。音の鳴る余白すらなく。狂気を携えた見開き切った目、途端震えが止まるナイフを握った手。男が男の心臓を刺し、罪そのものとなり、刺した男が通路で倒れる。朝、事務所で目を覚まし、殺したはずの男がソファで指輪を磨いている。それを見て涙がこぼれ続ける。そこに声が届く。俺の奴隷になれ。きみは特別自由にしてやるよ。だいたい、対等な関係。だから何ができる? 一人の人間の部屋が驚異でたやすく破壊されるように、世界は一つの部屋のなかにすべて封じ込めることができる。今から三百六十五日後、奴隷の証を俺に差しだしな。

 

八日目、血に染まった別室からソファの元へ。いよいよエニー再訪の前日。

 

パートナーの男が彫刻家を連れてくる。二次的作品の制作者は論外だが、既成のフォーマットに遣えるいわば一時的作品の制作者もまたここにくるのは珍しい。この彫刻家を友人だと告げ、ii(イィ)と名づけられた秘密組織入会のための通過儀礼その申請を代弁する。入会は推薦者とともに行われる。自らを含めすべてがゴミでしかないその証明をするため用意された者を推薦者の進行に従って殺しその血をグラスに注いで晩餐を愉しむ儀式がなされるが、達成されなかった場合は秘密保持のため新規入会者は推薦者の手によって殺される。この儀式を潜り抜け無事署名を済ませられた者には、ゴミのように建設性のない何らかの魔力がこめられた指輪が授けられる。その最後の過程はこの名もなかった組織にii(イィ)という名称が与えられてからのため、事実上、第二世代会員最初の人間がこの彫刻家であったかもしれないが、その男はまさにゴミのような躯となって葬り去られる。二人きりになり、せっかく友人ができたと思ったのにね、と話しかけられ、この手がただ濡れただけだった、残念だけどまぁいいさ、と眼鏡をかけていつもの事務作業に気をやっている。この空間では、友人というものも、友人という記号のゴミでしかない。死体処理の仕事が増えたためにゴミのような人たちの綱渡りのようなふところが少しだけ潤う。何事もなく日が暮れて、ソファで男がアリスを想う。明日には謎が暴かれただの一体の奴隷となるアリス。あとには永遠の空虚が待つだけだろう。

 

日が暮れ、朝日が差し、日が暮れはじめ、エニーは現れず、一通のメールだけが届く。

 

事務の椅子に座る男の眼鏡に複数行に渡る文字化けされた文字列が映り込み、その椅子に手を置いて男がそのメーラーボックス内の光景をじっと見つめる。文字化けは通常のモノと異なっていて元の文を再現できない。事務の男がエニーに電話をかけようとするがすでに登録解除されている。アリスに連絡を入れる。三十分以内にこれるって。まるでなにも知らないようだった、嬉しそうな声だったよ。それを聞きながら男が無言を保つ。

 

アリスの到着。会いたかった、と泣きそうな顔をしている。男はその本当になにも知らなさそうな表情を見て釈然としない。ただ九日ぶりのアリスに動転して別室に消える。やさしく服を剥ぎとりタトゥーをあらわにさせる。まるでそこにエニーが吸いとられてしまったかのようだ。アリスの舌を舐めながら、きみは俺にとって世界の謎だ、謎は新たな謎を、連鎖を生み、意味が生じる。やがてゴミばかりの世界が意味のある世界に姿を変える。驚異だ。アリスが男を押し倒して半裸の姿でいう、世界がダストの集積でなくなったらあなたの美しさも影に隠れ見えなくなる、世界の終り、あなたにとっての、そうでしょ? 男が問う、この世界はダストで溢れ返ってるんじゃないのか、アリス? それに答え、そうよ、貴方も、私もまたダスト、考えに狂いはない。イィ? 私は貴方の奴隷アリス。ご主人様の言いつけ通り。九日間連絡しないって約束守ったでしょ。辛かったんだから。男が女を脇に倒して考える、この女の自らの言葉への強烈な自信はどこからでてくる? いったいなにがこの女を支えている? 泣きはらしていたようだが強い眼差しだ。男が女の腹の上に乗り、突如笑む。そして、ボクの奴隷なら返答も容易だろ? ボクと一緒に世界を破滅へ導かないか? そのうちボクの秘密組織にも入れてあげるよ。ほら? 突然女が男を抱き寄せて耳元で囁く、破滅もなにもすでにダストで舞ってるのよ世界は。この部屋、血の匂いがする。うっとりする——。

 

ソファのある事務所でもう一人の男が文字化けの解読に成功する。これは動画データに暗号処理を施したもので、再生させると異様な情景が映しだされる。動画には時折字幕で説明が入る。エニーの言葉か?

 

EEVVVVVV33333333222444444222222222222222222222222222222222222闇夜をまっ白に反転させる落雷——室内で佇んでいた男の視線——ミディアムシーグリーンのプールサイドで何十体と蠢く男のからだが一斉に浮かび上がる。VVVVVVVVVVVRRRRRRRRRWW RW4WWR RRR。アクリル越しにその光景を視ていた女が踵を返しブラックライトとレッドライトと複数で戯れる男たちのある室内の中央へ、男たちは重金属を身に纏っている。テーブルに黒い衣装の男が数人、彼らの左肩にはNNNNと掘られたタトゥー、その背後で性遊戯に耽る男たちの腕にはナンバリングが。消えた落雷から視線を外し佇んでいた男が室内の人物を1人ずつ目で追う。女がいう。ようこそNNNNへ。私たちはここから世界への抵抗を開始するわ。私たちはとるに足らないダストなのかしら。そうよ。受け入れましょう。そして私たちの1人1人が暗号要素となり世界のすべてのあらゆるダストを暗号の鍵へと解釈しなおし私たちのヴィジョンによって全世界を満たし官能と退廃で取り巻かれた悪徳の美へと塗り替えてしまいましょう。重低音を連想させる拍手がテーブルを囲む男たちから——完全会員制ゲイクルージング一室と共存してブチルニトライトの香りに包まれて。——人種国籍一切関係なく重金属乱交を目的としたヤリ部屋の名が〔0.5mm インダストリアル グリッド〕であったためにこの店舗を無許可で開店させたオーナーの男は皆からグリッドと呼ばれている。〔0.5mm〕会員の半数が日本人ではなかったため違和感なく黒い衣装の男たちにはいずれ横文字のニックネームがつけられていっただろう。適当に記されたように見える文字列が並ぶ1枚の紙となんてことのない文章で埋め尽くされた1枚の紙をテーブルに——ピンクのペンの線が走る——ダスト2枚に暗号を与える講義。背後では多重の喘ぎ声と激しくぶつかりあう金属音。アクリル窓を経た強風。金属製の壁に佇んでいた男が優雅にペンを握る女をじっと見つめている。〔0.5mm〕会員でありプールサイドの乱交スペースからやってきて——両腕にナンバリングされた数字は23——タオルでからだを拭いている男が会合を青いコンタクトレンズ越しにじっと視ている。彼は闇の中、二段ベッドが並ぶ別室へと消える。ダストで溢れ返ったこの世界でほんの少しだけ意味を成してる残照があるわ。そのパーセンテージはこの程度。NNNNと現実の世界とはこの第一の基準によって繋がっているわ。夥しいダストから暗号部分を見つけだし意味を汲みとらずにチェックを入れましょう。割合を確認して第一基準との誤差に込められた最初のメッセージを頼りに解読しましょう。文字列すべてに意味があるなんて合理主義には唾を。私たちは、仕組まれなかったダストさえダストのままで暗号として受け入れる仕組みを生きるのよ。2222222222222222222222222222222

 

事務机の前から立ち、別室へ行く。それに気づいた男がアリスを置いて別室を去る。そして支配者のごときアリスの姿が映しだされている映像を見る。唾を飲み込んだまま微動だにしない男に向けて、これは文字化けを解読した結果現れた動画だが、メール自体はおそらくカリフォルニアから、エニーが思春期をサンフランシスコで暮らしたことも考えあわせれば、この九日間でエニーはアリスのタトゥーという暗号を用いてなにかを発見し、すでに日本から発っていたと考えるべきかもしれないし、その足取りを辿ってもいいが。それを遮って男がいう、この映像はフィクションという可能性はないのか? 意味が分からない。それから一分以上の静寂が二人を襲い、やがて男が続ける。アリスには話さないでおく。エニーも追わなくていい。カリフォルニアへ行く必要もない。このボクという美しいからだを中心に回る地球、全世界の摂理において、なにか驚異であるとは思えない。ただの奴隷アリスとセックスしてくるよ。

 

男が別室に戻ったとき、暗闇のベッドで薄らと浮かぶアリスの瞳が、男には一瞬野獣のように見えたが、すぐに幻影として掻き消えただろう。

_underline , 2013

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