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空虚

 

 

 

 

 

 

《ESC_$B$,%"%s%@!<$K$J$C$F$7$^$C$?Nc$G$9!#_(B(特徴として——JISコードをそのまま半角の文字として読むと「$」とか「%」とかが一つおきに出てくる) ”——“」ナ」ユ」テ、ヌ、ホハクサ?イス、アホ网ヌ、キ、ソ。」”“=8D=C5=8B=DF=83=70=83”“弊μ垰劼砲導稜Гい燭靴泙”“kcWCv4/jgrCCzJP6kvaCxo/”——このような言葉は某ツールによって解読することができる》

《空虚に天上あれ——孤独が怖ければベイビー。絶望に幸あれ——おれたちは地下のガランとした空間で今、距離を置いて座りあっている。スタッフは外食に出かけ、DJはブースにレコードを置いたままOPEN時間まで気長に階段の上でおしゃべりだ。そして「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」のLaurence Sterne(1713-68;英)や「巨人」のJean Paul(1763-1825;独)を「ドン・キホーテ」のセルバンテス(M de cervantes saavedra;1547〜1616;スペイン)にひけをとらないと称したのはThomas Carlyle(1795-1881;英)という思想家——劇作家ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare;1564-1616;英)はセルバンテスと同時代——「失楽園」ジョン・ミルトン(John Milton;1608-1674;英)——イギリス最初の小説は1720年のダニエル・デフォー作「ロビンソン・クルーソー」でローレンス・スターンとほぼ同時代——ちなみに「ベオウルフ」がイギリス最古級の文学だがそれは小説ではなくて叙事詩、そのイギリスの支配下ゆえに9-12世紀にあったゲール語文学が滅んだアイルランドではジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift, 1667 - 1745)による「ガリヴァー旅行記」が最も有名で1726年に最初の出版(以降の著名作家は19世紀)——またダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri;1265-1321;伊)がイタリア文学最大の古典「神曲」三篇の執筆を始めたのは1307年頃でセルバンテスも生まれていない頃——「デカメロン」のジョヴァンニ・ボッカッチョ(Giovanni Boccaccio;1313-1375;伊)はダンテの次世代——「神曲」と同じ叙事詩スタイル(語り伝える価値のある事件を物語で伝える)その現存する最古の文学作品と呼ばれるのが「ギルガメシュ叙事詩」で世界で最初に生まれた文明と言われる古代メソポタミア(今でいうイラクにあたる場所で生まれ「メソポタミア」はギリシャ語)——使用言語はアッシリア語——時代は旧約聖書やギリシア神話よりも前——ギリシャといえばソクラテス (Sokrates、紀元前469年頃-紀元前399年)やその弟子プラトン(韻文に反対し散文を提唱)さらにその弟子アリストテレスら哲学者や数学者アルキメデス(Archimedes, 紀元前287年-紀元前212年)と偉人揃いだが文学としてホメロス(Homeros)は紀元前8世紀後半頃の伝説的な叙事詩人で三大悲劇詩人として知られているアテナイのアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスも、ギリシャ神話も、みんな古代ギリシア、紀元前でギリシャ文学が西洋文学の源泉といわれもするが小説ではない——ロシア(旧ソビエト連邦)ではフョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー(1821-1881)やレフ・ニコライビッチ・トルストイ(1828-1910)が19世紀でロシアに文字はキリスト教を受容する10世紀まで現れてなく11世紀から年代記が生まれ12世紀終わりに「イーゴリ軍記」が書かれ14世紀に「ザドンチナ」17世紀に社会生活を反映させた韻文「不幸物語」で18世紀半ばに現れた古典主義ってシーンのルーツは古代ギリシア・ローマ文学——ローマはイタリアの首都だからロシア文学はイタリア文学以後にあり——ロシアの天才詩人プーシキン——そしてドストエフスキーより少し後のツルゲーネフに続くロシア文学が日本近代小説におけるルーツの1つで坪内逍遥が「小説神髄」を書いたのは1885年(明治)で文学小説の出発は遅くまた英語によるアメリカ文学の歴史は1776年に独立してから本格的に始まったが「ポカホンタス」ジョン・スミス(1580-1631)や女性詩人アン・ブラッドストリート(1612-1672)——ジョン・スミスはセルバンテスやシェイクスピアと並ぶ年代の持ち主——ドイツでは、長編戯曲「ファウスト」や小説「若きウェルテルの悩み」のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)から遡ると教養小説の元祖『アーガトン物語』を著したクリストフ・マルティン・ヴィーラントや『批判的詩学の試み』(1730年)の重要文学者ヨーハン・クリストフ・ゴットシェートで更に遡ると1600年から100年余り続いたバロック時代から更に遡るとゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの『トリスタンとイゾルデ』や作者不詳の『ニーベルンゲンの歌』などの宮廷物語で更に遡ると古高ドイツ語(Althochdeutsch)が8世紀で『メグゼブルク呪文書』——フランスでは例えばスタンダールがゲーテ(独)の少しあとでセルバンテスの母国スペインでは15世紀に騎士道小説そしてセルバンテスと同年生まれで彼との親交も会ったらしいマテオ・アレマンによる『ピカロ、グスマン・デ・アルファラーチェの生涯 Vida y del Picaro Guzm de Alfarache (第1部は1599年、第2部は1604年に上梓)』を祖として17世紀までとくにピカレスク小説(悪漢小説)が流行——中国の小説誕生には西洋の影響を待たなければならずそれまでは日本と同じく叙情詩が多く叙事詩が少なく唐の時代(8世紀)から栄えた散文では創作というよりも現実に即したものが多く明の時代(14世紀)に登場した長編小説は「水滸伝」「三国志演義」「西遊記 」「金瓶梅 」など“奇書”と呼ばれこうして眺めると近代小説は西洋の16〜17世紀、ちなみに、中世イランに編まれたものを原本としたアラビア語の「千一夜物語(アラビアン・ナイト)」は15〜16世紀に今に近い形を持ったというこれら「古典文学という叙事詩、叙情詩、散文、物語等で書かれた大ルーツからの切断線から見た文学史」そしておれたちは生まれては受け渡し死ぬ循環に属している(命題1)——精神は一度信頼を失うと、常に精神が埋もれることによって空虚への直面を避けるだろう》

——遅れてやってきたDJがサウンドチェックを始めようとしている。先ほどまで会話をしていた二人はそれでしばらく瞳を閉じる。聴こえてくる音楽によって空虚が増す。空虚は留まることを知らず増していく。二人の会話はもっとシンプルなものだったが今のところそれを読者に伝えようとは思わない。ゆえに二人の〈会話内容〉の箇所に文学史を代入したが、にも増してこの情景は空虚だ。DJのサウンドチェックが終わりそのDJは二人に挨拶をしたあと軽くサウンドエンジニアに一礼しハコをでていく。このイベントの開始までまだ長い時間がある。ステージは二つあり、片側にはDJブースが、もう片側にはライブセットが、組まれてある。その出演する二バンドのうちの一つはまだリハーサルを終えていない。会話をしていたのは二人組のDJユニットとしての出演者でありリハーサルはずっと以前に終えている。西暦720年舎人親王らによる「日本書紀」いわく、およそ西暦285年(大和時代)最初に漢字が日本訪れて聖徳太子(敏達3年—西暦574年—に誕生)は仏教に出会いその教えによって豪族(猛者ども)を導き天皇中心の世にしようと考えその最も効果的な手段として「書写」(書き写すこと)を使ったのが現存する日本最古の筆跡——聖徳太子の書「法華義疏」であり平安時代(西暦794年)初期に漢文学(漢文を学ぶこと)が流行し漢籍や経典がさかんに読まれ多くの書が書かれ必然的に“早く”書く方法が望まれ万葉仮名を草書化した「草仮名(そうがな)」が盛んになりさらに簡略化した「平仮名(ひらがな)」(漢字をくずしたもの)が生まれ——漢文を読む際に行間などの狭い個所に(読みやすくするための)注釈のための行間にも書き込めるような字形の小さい簡単なものとして「カタカナ」(楷書を省略したもの)が生まれたわけだが「楷書」とは漢字の書体の1つで1点1画を正しく書くものを指し逆に少し崩したものは「行書」でより崩して文字を続けて書く書体を「草書」といい平家/源家の2大勢力が暴れた鎌倉時代(西暦1192年)に中国の宋元書道から書の技術や技よりも精神世界を重んじるようになり西暦1322年に鎌倉幕府が滅亡し書の歴史では不毛な次の室町時代を経て豊臣秀吉が天下を統一し(西暦1590年)江戸時代になると多くの書家が現れたわけだが明治(西暦1868年)の33年に「一音一字主義」としてたとえば「い」は「伊、移、意」などを「変体仮名」として「以」をくずした「い」1つに決定する規格化——俗にいう「小学校令施行規則」が採用され大正を経て昭和——第二次世界大戦終戦後に連合国軍により大きな教育改革が行なわれ習字そのものが否定されるもののときを経て改善され現代に至る——そのような書の歴史がこのハコの中で延々と続いている。その沈黙を切って、二人のうちの一人が口を開く。

《ヨハネス・グーテンベルク(Johannes zum Gutenberg, 1390代-1468;独)による活版印刷術の発明により書物の量産が可能となり紙本がヨーロッパ全土で主流になるのが15世紀の1450年代だ(金属合金による活字に油性インクをつけて紙をあてプレス。「四十二行聖書」etc.)。1475年から20年かけてバッシアーノに生まれローマで育ったアルドゥス・マヌティウス(Aldus Pius Manutius, Romanus 1450頃-1515)は書物にノンブル(ページ番号)を導入。また活版印刷より前に西洋で印刷されたものをインクナブラ(揺籃期本)とする。現存する最古の文学作品「ギルガメシュ叙事詩」は粘土板——その直後に生まれたパピルス紙による巻子本と羊皮紙の使用(紙より以前に使われた物たち——粘土板、パピルス、パーチメント、ヴェラム、木簡、竹簡、絹布、植物の葉など)。ところで朝鮮では14世紀に金属活字が存在し、それが、豊臣秀吉によって日本に輸入されている。東洋の印刷術は中国の木版印刷から始まり東洋現存最古の印刷物は敦煌文書中「金剛経」(868)となる。紙においてヨーロッパは、東洋よりも遅れをとっている》

《「純文学」という言葉は明治の作家「北村透谷」が使いだしたそうだが——明治 翻訳文学 政治文学(政治宣伝目的) リアリズム(心理・性格・文明批判 言文一致体開始) 浪漫主義(憧れ、尊重、自然美、神秘性、異国情緒) 自然主義(狭小生活の告白) 耽美主義・唯美主義(roots浪漫主義。官能・享楽の美) 大正 白樺派 新現実派(現実の虚構的解剖構築) 新早稲田派(roots自然主義) 探偵小説等に繋がる大衆文芸の勃興 社会主義(社会主義思想・プロレタリア文学へ) 未来派・ダダを受けて前衛的詩人の登場 昭和 新感覚派 戦旗派(プロレタリア文学) 戦旗派作家による転向文学 近代芸術派(反マルクス主義の芸術優位文学) 昭和十年代作家・大衆文学・探偵小説・少年文学・通俗的小説etc.現代詩は主に4つ——「四季」派・「歴程」派・「詩と評論」派・プロレタリア詩 無頼派(デカダン派・新偽作派) 戦後派文学(戦争・国家・告発・限界状況・庶民的実存) 第二次戦後派文学 第三の新人(日常生活を細かくユニークに) 三十年代文学 ・風俗小説・中間小説・時代小説etc. 女流作家の活躍 現代詩は新展開——そして学生紛争——45年三島割腹自殺・47年川端ガス自殺。小松左京「日本沈没」ミリオンセラー・都市の空洞化・マンガ、戯画、音楽、映像が注目され活字ばなれが始まる・作家の個別化・孤立化・分散化——内向の世代(roots自然主義の私小説) 五十年代 (中上健二・村上龍・田中康夫・村上春樹etc.昭和50年=1975年)——以降の文学に派閥的流れはない。歴史に強く刻まれる威勢を持たず個々の作家がそれぞれ存在している》



——ミ、ラそしてラ、ミ——

 

 

_underline, 2005

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